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わいせつ等事件簿 | 「打球が見えないんよ」母の前でだけ泣いた 野球諦めた済美の記録員・太陽、涙は流さず

「打球が見えないんよ」母の前でだけ泣いた 野球諦めた済美の記録員・太陽、涙は流さず

2018/08/21 01:09

(20日、高校野球 大阪桐蔭5-2済美)

 野球をやめる。昨秋に憧れていた済美のユニホームを脱ぐ覚悟を決めた。

 生まれつき、視覚に障害があり色の判別がしづらい。幼い頃、絵を描く時に、母に「顔の色は何色に塗ればいいの?」と聞いたことがあった。小学3年で始めた野球では、中学までは白い土のグラウンドでボールは見えていたが、高校で黒土になってから見えにくくなった。さらに、ナイター照明を使った練習が増え、より打球が見えにくくなった。守備の時に1歩目が遅れ、キャッチボールは相手の投げ方を見て予測してグラブを出すようになった。このままではチームに迷惑をかける。そんな思いが募った。

 昨秋、背番号3をもらって一塁手で出場した。しかし、愛媛県大会の準決勝でミスをし、負けた。「見えなくてミスをしたわけではないけど、もし、見えないことでミスをしたら、みんなに申し訳ない」。心は決まった。監督に事情を話し、マネジャーに。記録員という役割をもらった。

 正直、野球を続けたかった思いはある。代打だけ、という道もあったかもしれない。でも、胸にしまい込んで、裏方に徹した。「チームのためにやれることを全てやる」。準備を手伝い、声を出し、仲間をサポートした。

 全国4強。「お前を甲子園に連れて行く、と言ってくれた仲間もいた。みんなに感謝しかない」。周りを照らすような子になってほしい、と名付けられた「太陽」は、満面の笑みで甲子園を去った。

     ◇

 野球をあきらめる時、唯一、母の貴子さんの前でだけ太陽は泣いた。昨秋のある日、自宅で母と2人きりになった。食事をしながら、胸の内を明かした。「やっぱり、見えないんよ」

 母は「どれくらい見えんの」と聞いた。太陽は「2、3メートル手前からしか見えん」。母は驚いた。もっと気にしてあげられたのではないか、と自らを責めた。母は遺伝が関係している可能性があることも知っていた。「ごめん……」と泣いた。太陽は「泣かんで。お母さんが悪いわけじゃないから」と言ったが、涙が止まらなかった。

 夏の大会が始まる直前の今年6月、太陽は母に手紙を渡した。「迷惑かけてごめん。甲子園に連れて行くから」。母も書いた。「最後まであきらめず、しっかりやって。甲子園に連れて行ってね」

 夏が始まり、2人は約束した。「負けても泣かんとこう」。愛媛大会は優勝。あと2勝で全国制覇のところで、大阪桐蔭に敗れた。試合後の取材エリア。太陽に涙はなかった。

 「悔いは全くないです。選手として親を甲子園に連れてきてあげられなかったけど、仲間が連れてきてくれた。少しは恩返しができたかな。母が産んでくれなかったら、野球にも出会ってないし、甲子園のベンチにも入れなかった。本当に母には感謝しかないです」

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