わいせつ等事件簿

愛媛県の中村時広知事は26日の新型コロナウイルスの対策会議で、首都圏や関西など感染が拡大している地域から今春に同県内に転入する職員に対し、転入から2週間の自宅待機と健康観察を命じると明らかにした。
中村知事は「県内で感染が拡大している状況ではないが、首都圏などで急激に感染拡大しており、転勤に伴い(県内への)大規模な人の移動が予想されることを懸念した」と述べた。
県によると、人事異動で4月ごろに県内に転入する約20人と新規採用職員が対象。海外旅行から帰国した職員も含める。4月に予定していた新規採用職員の研修は延期する。対象となった職員はテレワークなどで対応する方針だ。県内企業にも県の対応を参考として伝えた。
中村知事は26日夕、会議冒頭で自宅待機させる方針を表明した。その場で初めて知った県幹部も多く、各部局は対応に追われた。ある職員は「新年度まであと数日しかないのに、詳細な対応は何も決まっていない」とぼうぜんとしていた。
東京都内で働く県職員の一人は「急ではあるが、感染が拡大している以上やむを得ないと思う」と理解を示した。
MBSテレビ「戦え!スポーツ内閣」(水曜後11・56)の25日放送は「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止となった高校野球のセンバツ甲子園」をあえて特集する。武井壮(46)、小杉竜一(46)らが、お笑いコンビ「ティモンディ」前田裕太(27)、高岸宏行(27)とトークを繰り広げる。

 ゲストの「ティモンディ」高岸、前田は愛媛・済美高校野球部のOB。センバツが中止となり、高岸は「ガッカリの気持ちがあったけど、なによりも体が一番。今こそ、高校野球愛をぶつけよう」と球児にエールを贈った。

 今回は、聖地・甲子園に棲むと言われる「女神」と「魔物」について、過去の名シーンをVTRで観ながら熱いトーク。04年センバツで初出場初優勝を果たしたティモンディの2人の母校・済美は、準決勝で東北と対戦。2点を追う9回裏2死一、二塁から、高橋勇丞(元阪神)の逆転サヨナラ3ラン本塁打で逆転勝利。この勝利の裏側にあった当時の上甲監督の「ある行動」を2人が語った。
 
県教育委員会は25日、少女のわいせつな動画を撮影したとして新居浜市の小学校に勤務する29歳の教師を懲戒免職処分にしました。

新居浜市立泉川小学校の木下泰徳教諭(29)は今年1月、松山市のマンションで16歳の少女のわいせつな動画を、自分のスマートフォンで撮影した疑いなどで逮捕されていました。

県教育委員会は「教職員の綱紀粛正や信頼回復に努めてまいります」としています。
21日死去した加戸守行前知事は「スポーツ立県」を掲げ、2017年の愛媛国体開催やプロスポーツ振興に道筋をつけた。
 
 加戸氏は知事に就任すると、国体誘致に向け足場固めに乗り出した。加戸氏に請われ県体育協会会長に就き、国体実現へ奔走した大亀孝裕氏(88)は「愛媛国体に向けた盟友だった。体調が悪いなどとは聞いておらず、訃報に驚いている」と振り返る。
 加戸氏との最初の思い出は、1980年に県内で開催された全国高校総体。文部官僚として来県した加戸氏は「古里での立派な大会に感心していた。スポーツ振興への熱意がものすごかった」。
 01年5月、国体開催の内定を報告した際には「感慨深いものがあった」と大亀氏。開催に向けた募金活動にも積極的に協力してくれたという。
 サッカーや野球などのプロクラブが県内に定着しつつある現状に触れ「スポーツを身近なものにしようとした加戸さんの取り組みが実を結んだ一つの形では」と功績をたたえた。
 03年完成の新武道館は先進的な設備を備え、国際大会や大規模合宿の誘致が可能になった。計画段階当時の県柔道協会理事・浜田初幸さん(64)=鹿屋体育大教授=は、武道館完成後の浅見八瑠奈や中矢力、影浦心ら愛媛出身選手の活躍に触れ、「愛媛にいながら世界のレベルを知ることができ、競技力向上につながった。愛媛スポーツ界の大恩人」と感謝した。
 06年にサッカー愛媛FCがJリーグ入りする際には、県としてクラブへの出資や県総合運動公園陸上競技場の改修を実現。当時日本サッカー協会事務局長などを務め、愛媛側との橋渡し役だった県サッカー協会の豊島吉博会長(69)は「あのタイミングでなければJリーグ入りは10年は遅れていた。県財政が厳しい中、踏み込んで決断してくれた」と回顧した。
 権名津朗副会長(63)は「愛媛FCの活動報告会や決起集会にはほとんど出席してくれていた。自分が関わったチームに頑張ってほしいという気持ちがあったと思う」としのんだ。
3月21日夜、松山市の国道で道路の舗装工事中に、交通誘導をしていた会社員の男性が、バックしてきた道路作業車にはねられ死亡した。

21日午後9時50分ごろ、松山市余戸東の国道56号で、道路の舗装工事中に交通誘導をしていた松山市勝山町の会社員 盛里國康さん(67)が、バックしてきた道路作業車にはねられた。

盛里さんは、市内の病院に搬送されたが、全身を強く打っていて、およそ1時間後に死亡が確認された。

事故当時、現場では古いアスファルトをはがして補修したり、道路を清掃したりする作業が行われていて、県警によると盛里さんは、道路上で工事車両の誘導を担当していた。